世界中のメッセンジャーの祭典“CMWC 2018 Riga” レポート第一弾!!
世界中のメッセンジャーが、一年に一度集う祭典・CMWC(Cycle Messenger World Championships)。ラトビア・リガで8月22日から26日に開催された26回目のCMWCの模様を、次号12月発売のLOOP Magazineに先駆けて、現地に訪れたラスカルが2回に分けてフォト・レポートをお届けする。
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~プロローグ~
今回のCMWC行きのことを人に話すと、大抵は「どこ?」と言われた。それは僕も行くことを決めるまで同じ。結局、渡航前にラトビアのことを調べてわかったのは、「ブロンド美女率が世界NO.1」ということと、ロシアの最西と隣接していることから、「日本のふたつ隣の国」ということだけだった。
日本からCMWCに参戦したのは3人。横浜・Courio-Cityに所属する現・日本最速と言えるメッセンジャー“ちかっぱ”と、10年以上のメッセンジャーのキャリアを持つ“サンテ”、そして僕。この3人はみな1984年生まれで、メッセンジャー業務以外にも、これまで多くの時間を共にしてきた。
ただし、仲の良さでこの3人になったわけではない。今回、僕らはあるミッションを自分たちに課していた。それは再び日本でCMWCを開催するため、リガのオープンフォーラムで開催地に立候補すること。そのためには最低限、走る人(Player)、動く人(Organizer)、伝える人(Editor)が必要だった。
東京からバンコク、ストックホルム、そしてリガという片道約28時間の3人旅。飛行機は寒いと言っていたのに薄手のジャケットを持ってきたサンテは鼻水を垂らし、ストックホルムではオーバーチャージを回避するための攻防戦を繰り広げ、ようやくリガに着いた時には正直ケツが取れそうだった。
レースに参加するため? パーティーを楽しむため? 開催地に立候補するため? その全部。期待、緊張、不安、興奮……僕らはごちゃ混ぜの感情と重たい荷物を持って、“バルト海の真珠”と呼ばれる美しき古都・リガに降り立った。
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DAY1
リガ到着後、今回のオーガナイザーが案内してくれたFree Rigaと呼ばれる宿泊施設に向かった。トイレ・シャワー・マット付きの雑魚寝で1泊10ユーロ。ここは最終的に10人弱のメッセンジャーで埋まることに。宿は好みがあると思うが、この数日間ぐらいは、リガでしか生まれない出会いを楽しむのもいい。
この日はグループライドの日だったが、すでに始まっていたので、メッセンジャーが集まるという噂を聞いた別のFree Rigaへ。そこにはメッセンジャーたちが続々と集結し始めており、早くもCMWCらしい光景が広がっていた。
夜はSecret placeでのパーティー。“橋の近くの小さな島の先端辺り”という唯一のヒントをもとに、合流したメッセンジャーたちと探すが、なかなか見つからない。暗闇のオフロードをひたすら進む途中、僕の自転車はチェーンが外れ、一番後ろを走っていたため気づかれずに置いていかれた。進むも退くも……の状況。ひとまずタバコに火をつけ、ケータイのライトで照らしながら自転車を担いでのろのろと歩き出した。10分ほど歩き、「もう帰ろうかな」と諦めかけた時、暗がりの先から陽気なメッセンジャーたちの声が聞こえてきた。
DAY2
2日目は、トリック系などのサイドイベントが開催される日。快晴の河沿いの芝生は寝転がるのにちょうどよく、レジストを済ませたり、昨日は会えなかったメッセンジャーたちと話したりしながら、のんびりとした時間を過ごした。
そんな中、会場でリガのメッセンジャー・アルディスと出会い、仕事に同行させてもらえることに。街を知るには、現地のメッセンジャーに付いて行くのが一番良い。意気揚々と走り始めたが、いきなりトップスピードになったアルディスにチギられそうになる。すぐに気づいた、「あいつ、電動チャリになってやがる」と。その後はなんとか付いて行きながら、いくつか仕事先を回る。途中、アルディスの同僚の家で休憩することに。家庭農園を営む緑豊かな家の敷地で、おもむろにアルディスはビールを飲み出し、僕らにも分けてくれて回し飲み。1リットルのペットボトルのビールは、瞬く間に空になった。
会場へ戻り、トラックスタンドでYoung Kevenの優勝を見届けた後はアーレイキャットがスタート。本気で走る人とのんびり走る人、それぞれのペースでゴール地点のBruklene Shopを目指し、21時を過ぎた頃から続々とメッセンジャーが集まり始める。夜も深くなった段階で、パトカーも2台到着。ただこの日ばかりは注意するわけでもなく、静かに見守っていてくれたようだった。
DAY3
3日目は、いよいよCMWC 2020の開催地に立候補するオープンフォーラム。立候補したのは、スイスのバーゼルとコロンビアのボゴタ、そして僕ら日本の横浜。スタート予定の時間は過ぎていたが、そろそろ始まるだろうという時に突如、バーゼルチームが「立候補する3都市のみんなで集まろう」と言い出した。そこで彼らの口から飛び出したのは、「2020年から2022年までのCMWCを、この3都市で開催しよう」という提案だった。
正直、戸惑った。もうオープンフォーラムは始まる。彼らが真剣に伝えようとする英語を聞き取るのに必死。自分のリスニング能力を、この時ばかりは呪いたくなった。それでも時間の許す限り、3都市のみんなで話し合った。バーゼルの言い分も理解できた。その上で、ボゴタのリーダーであるマテオが言った「それでも俺らはどうしても2020年に開催したい。ただし、どこに決まっても俺らは全力でサポートする」という言葉にも心を動かされた。
バタバタとオープンフォーラムはスタート。3都市持ち回り案を提案した上で、バーゼル、ボゴタ、横浜の順にスピーチをすることに。この時にはすでに緊張してトイレに行きたくなった。ちかっぱの顔を見て、さらに緊張が増す。
ただし、ちかっぱは英語で立派にスピーチをやり遂げた。最初は静まり返っていたメッセンジャーたちから笑顔がもれた時の安堵と、ちかっぱが最後に“Arigato”と言った時に起こった拍手の感動を、僕が忘れることは無いだろう。
オープンフォーラムの後のことは正直なところあまり覚えていない。ただし、3都市で揃って撮った集合写真が、僕らの間に芽生えた絆を物語っている。
text&photo by RASCAL
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